普段は公開しないページです。メモだし。

 ツッコミ、訂正大歓迎。その際は各種連絡手段を用いて水炭まで。

 良い資料がありましたらば教えてください。マジで。

2020/9/18追記

瑞霞諸島 1600 年代発見説(1608 年頃?)により大きく変わるかもしれない。

江戸幕府は海洋を航行できる程度の造船技術はあった模様。→見つけた。

スペインだかポルトガルだかイギリスだかがもっと前に発見している(イギリスは無いかもらしい)だろうが、住むまでには至らなかった模様。

デルーシア人が住んでいるかもしれない

日本人の漂流により、日系人が増えていく

 

…てかプロトファスマ氏他、学のある方々に助けて頂きたいのが本音です。

黒船来襲から文明開化まで


学制

正史 瑞霞史

1872年

明治5年

9月4日

学制の公布

画一的(※何もかも一様で、個性や特徴のないさま)すぎて国民生活の実情に合わなかった。

 

1879年

明治12年

学制の廃止、教育令の公布  

1880年

明治13年

改正教育令  

1886年

明治19年

4月10日

一連の学校令が制定

帝国大学令

師範学校令

中学校令(第一次中学校令)

尋常中学校

高等中学校

小学校令(第一次小学校令)

修業年限が3年または4年となる。

尋常小学校終了までを義務教育期間とする。

 この時点では「一府県一行設置の原則」により、尋常中学校の設置ができない?

1888年~

1889年?

 

 第一次開拓使団が瑞霞諸島に入植。3島にまたがるため、互いに連絡の取りやすいようそれぞれの島に近い箇所に居住地を設ける。地名をつけたい。

様々な施設を造らせたい。

 

 瑞島は果最島・霞島との結節点を結ぶ沿岸沿いの道路ができていても良いと思われる。

1889年~

1890年?

 

第二次開拓使団が入植。

 

 初期が20名を超える程度(歴史より)なので、この入植である程度の人数を揃えたい。

1890年

明治23年

10月7日

小学校令改正(第二次小学校令)

目的の明示。

修業年限を3年または4年とする。

高等小学校の修業年限を2年、3年または4年とする。

専修科・補習科を敷設することが可能となる。

徒弟学校と実業補習学校を小学校の種類とする。

 

1891年

明治24年

12月14日

第一次中学校令一部改正

尋常中学校の設置条件を緩和

 土地の状況により、各府県に数校の尋常中学校を設置することができる。

 郡市町村においては、区域内の小学校教育の施設上妨げとならない場合に尋常中学校を設置することができる。

 尋常中学校に農業・工業・商業等の専修科を設置することができる。

 

1892年

明治25年

4月1日

 

果最島尋常小学校開校。

修業年限は3年又は4年とした。

果最島高等小学校開校。

修業年限は2年又は3年、4年とした。

専修科

1893年

明治26年

4月1日

 

果最島尋常中学校開校。

専修科(工業)の設置。

1894年

明治27年

高等学校令  

1899年

明治32年

2月7日

実業学校令

高等女学校令

私立学校令

中学校令改正(第二次中学校令)

中学校令改正により、果最島尋常中学校は果最島中学校へ改称。

1900年

明治33年

8月20日

公布

9月1日

施行

小学校令改正(第三次小学校令)

尋常小学校の修業年限を4年に統一。

2年制の高等小学校を尋常小学校に併設することを奨励。

義務教育無償の原則を明示。

 

1902年

明治35年

4月1日

 

果最島実業学校(現在の果最島工業高校)開校。

修業年限3年

予科2年、専攻科2年を設置

本科の入学は12歳から

1903年

明治36年

専門学校令  

1907年

明治40年

小学校令改正

尋常小学校の修業年限を6年と定められる

高等小学校の修業年限を2年と定められる

 

1908年

明治41年

   果最島に造船所の建設決定。多数の移民を見越し、各種学校の建設が始まる。

1911年

   果最島造船所開所、果最島人車軌道の開業。

1918年

大正7年

大学令  

1941年

昭和16年

国民学校令

小学校令を全面改正し、国民学校とした。

尋常小学校→国民学校初等科

高等小学校→国民学校高等科

 

1947年

昭和22年

学制改革

国民学校初等科→小学校

国民学校高等科→新制中学校

 

尋常小学校卒業後の進路

 旧制中学校、高等女学校、実業学校 ←旧制中等教育学校

 高等小学校

 青年学校普通科

 就職

第一次世界大戦から第二次世界大戦まで


1947年より政府主導で計画造船が行われる。

→1956年に世界1位の造船量となる。

戦後


1960年代半ば以降、原発建設の推進。

1970年、高校進学率が82%を超える。

1973年10月には石油危機が起こる。

ここまでには日本から抜けること。

1974年 日本・電源三法

1960年~1970年頃 モータリゼーション→道路の路面が整備されず瑞霞では発達しなかった可能性

公害

ベビーブーム

 

ベイルートのような集約港としての地位を確立して頂く。

文化・生活


水道

 各戸タンクに貯水は基本。

 上下水道は通したい。

 各所に井戸が掘られていてもおかしくない ←ただし海岸に近いほど塩辛い ←イオン交換膜実用化後は楽に飲めるように

 ハワイ諸島が参考になるか

ガス

 海港付近に貯蓄施設 ←軍艦うようよ

 そこから各地へ

電気

 自然エネルギーは積極的に採用。

参考:http://shikinejima.tokyo/learn/infra/

 海上大型風力発電の設置位置は要検討すること。

 果最島は歴史的に火力数基、近年は原子力で楽に

その他


旧電話番号:04999-e-fghj